日本男色考 田原香風

(二)外国に於ける男色の起源


然らば外国に於ては何時から行はれたであらうかその大略を一瞥してみると、中国は最も早く、過去五千年も昔から行はれたものだと云はれて居るが、 果して然るべきか多大の疑問であるが、ほかの諸外国より古くから男色の蛮習が存在したと謂はれて居る。
尚書」の中に「頑童」の文字が散見し、唐虞(とうぐ)三代の頃から此の俗風が行はれ、 衙の霊公は彌公瑕に命を託し、漢の高祖は籍嬬に心を儀し、武席は李延年を愛し、唐にては蘇東坡季節を風水洞に慕ひ、 宋にては男寵大に興じて女色より甚だしく、衆庶民は勿論のこと、士大夫に到るまでも是を習はないものが多く、 此れがため夫婦離縁して怨曠妬忌する者多く、殊に呉国は最も隆盛を極め、男子は悉く脂粉をほどこして衣服を飾り、 風俗、秩序の紊乱すること甚だしいものだつた由である。

旧約聖書の申命記第二十二章の中に、
摩西(モーゼ)(Muoses)の法律なり
「イスラエン」の女子の中に娼妓ある可らず
「イスラエン」の男子の中に男娼ある可らず
娼妓の得たる価と及び狗の価とは
汝の神「エホバ」の家に携へ入りて
何の誓願にも用ゆ可らず
是等は共に汝の神「エホバ」の憎み給ふものなればなり

と「エホバ」の神は神意の啓示として授けたモーゼの法律と傅ふる戒律に早くも男娼を禁制とせるは、此れが醜行が存在した故に禁制としたものと見る可きである。
斯くの如く、一般社会に於いて想像し得られむ様な蛮行が、世界各国でも相当古くから一部階級に於て行はれ、表面的には立派な君子然たるものだつたのである。




一覧にもどる
底本について

田原香風著『日本男色考』
茜書房刊、昭和二十二年一月三十一日発行、定価十五円

TOP